火の発明、文字の発明。人類の歴史の話になると、よく出てくるのはこの2つです。
でも、ふと思いました。人間は、いつから服を着ているんだろう。
なんとなく頭にあるのは、葉っぱを蔓で体に括りつけた姿や、毛皮をまとってマンモスを追いかける姿です。では、それは紀元前何年ごろの話なのか。世界のどこでも同じだったのか。日本ではどうだったのか。
気になったので、論文や博物館、自治体の資料を読んで調べました。ここでは服の歴史を、世界と日本をまとめた年表にして、日常の疑問に答えていきます。縄文時代と弥生時代の服装の違いも、1つの節にまとめました。
先にお断りしておくと、服は毛皮も植物も腐って消えてしまうので、昔になるほど「分かっていること」の幅が広くなります。ここに書く年代は、どれも「約」「〜とされる」の幅つきで読んでください。
服の歴史はいつから?人類が服を着始めたのは少なくとも約8万3千年前
人類が服を着始めた時期は、少なくとも約8万3千年前、早ければ約17万年前と推定されています。 手がかりになったのは服そのものではなく、服に住むシラミの遺伝子です。頭のシラミから「服のシラミ」が分かれた時期を計算すると、この年代が出てきました※1。服の現物は腐って残らないため、こうした間接の証拠から年代を割り出しています。
シラミの遺伝子で、服の始まりが分かる
人の体には、頭髪に住むシラミと、服の縫い目に住むシラミがいます。服のシラミは、服がなければ暮らせません。
そこで研究者は、2種類のシラミの遺伝子を比べて「いつ分かれたか」を計算しました。結果は、少なくとも約8万3千年前、早ければ約17万年前※1。服のシラミが生まれた時点で、人はもう服を着ていた、という考え方です。
同じ論文では、人の祖先が体毛を失ったのは約120万年前と推定する遺伝子の研究も引かれています※1。体毛を失ってから服を着るまで、長いあいだ「何も着ない時代」があったことになります。
この話を知ったとき、私の感想はこれでした。
シラミの遺伝子でわかるとかすげぇ
服が残っていなくても、服に住んでいた虫が年代を教えてくれる。調べたなかで、いちばん意外だったところです。
ただし、シラミの分かれた時期と服を着始めた時期をそのまま重ねてよいのかには、疑問を出す研究者もいます。ここは「有力な手がかりの1つ」として読むのがよさそうです。
道具の証拠では、約12万年前までさかのぼる
服そのものではなく、服を作る道具からも年代が分かります。
モロッコの洞窟では、約12万〜9万年前の層から、皮をなめすための骨の道具と、毛皮を取った跡のある動物の骨が見つかりました※2。研究者は、これを「服を作っていた強い手がかり」と説明しています。
服の歴史を年表で見ると?世界と日本の衣服の歴史を1枚にまとめた

服の歴史を年表にすると、約17万〜8万3千年前に服を着始め、約5万年前に骨の針、約4万年前に紐、約3万年前に繊維、約5,000年前に「織って縫った服」の現物、という順に証拠が出てきます。 日本では、縄文時代に植物の繊維を「編んだ」布、弥生時代に機(はた)で「織った」布が広まりました。古い時代ほど年代の幅が広い点に注意してください。
世界と日本の服の歴史 年表
| いつごろ | 何が分かっているか | 証拠の種類 |
|---|---|---|
| 約120万年前 | 人の祖先が体毛を失う(推定)※1 | 遺伝子 |
| 約17万〜8万3千年前 | 服に住むシラミが分かれる=服を着ていた※1 | 遺伝子(シラミ) |
| 約12万〜9万年前 | モロッコで、皮をなめす骨の道具※2 | 道具 |
| 約5万年前 | シベリアの洞窟で、糸を通す穴のある骨の針※3 | 道具 |
| 約5万2千〜4万1千年前 | フランスで、ネアンデルタール人の石器に付いた3本よりの紐※4 | 現物 |
| 約3万年前 | ジョージアの洞窟で、より合わせた亜麻(麻の仲間)の繊維※5 | 現物(繊維) |
| 縄文時代 | 日本で、植物の繊維を編んだ布「編布(あんぎん)」や毛皮※6※7 | 現物・土偶 |
| 紀元前3482〜3102年ごろ | エジプトの麻のドレス。織った布を縫った服として、見つかっている中で最古※8 | 現物 |
| 弥生時代 | 日本で、機で布を織る道具が各地の集落に※9 | 道具 |
| 3世紀ごろの記録 | 『魏志倭人伝』に、布の中央に穴をあけて頭を通す服※10 | 文献 |
表のいちばん下は、中国の歴史書に書かれた日本の人々の服装です。ここから先、飛鳥・奈良時代には大陸の制度にならった衣服が入り、のちの着物へとつながっていきます。
年表を見て分かる3つのこと
- 服の始まりは、思っていたよりずっと古い。 少なくとも8万年以上前
- 服より先に「紐」と「針」がある。 道具がそろってから、体に合わせた服ができた
- 「織った服」の現物は約5,000年前から。 それより前は、毛皮・皮・編んだ布の時代
衣服の歴史で、服より先にあったのは?紐と糸の発明
衣服の歴史をたどると、服より先に「紐」があったことが分かります。 フランスの遺跡では、約5万2千〜4万1千年前のネアンデルタール人の石器に、長さ約6.2ミリの3本よりの紐が付いていました※4。木の内側の皮の繊維をよって作ったものです。紐は服だけでなく、縄・袋・網・舟の材料にもなりました。
私が「糸の発明」に興味を持ったきっかけ
私がこのテーマを調べ始めたのは、武内一忠さんのもう隠せない真実の歴史 : 世界史から消された謎の日本史を読んだことがきっかけでした。
読み終えたあと、私はこう書き残しています。
麻織、糸の発明が偉大だったと知りました。糸を紐にして縄を作る、服を作る。帆船の帆にして航海ができるようになる。
火や文字ほど話題にはならないけれど、糸がなければ服も縄も帆も作れない。そう考えると、服の歴史は糸の歴史でもある、と言えそうです。
ネアンデルタール人も紐を作っていた
フランスの紐を見つけた研究チームの論文には、こんな一文があります。より合わせた繊維は、服・縄・袋・網・敷物・舟などの土台になる、と※4。
紐をよるには、繊維を何本か組にして、決まった向きにねじり、さらにそれを逆向きにねじって合わせる手順が要る。研究者は、こうした作業には「組」や「数」の理解が要ると指摘しています※4。
約3万年前には、染めた繊維もあった
ジョージアの洞窟からは、約3万年前の野生の亜麻の繊維が見つかりました※5。より合わせたものや、色の付いたものも含まれていたという報道です。
布そのものは見つかっていませんが、このころにはもう「繊維を糸にする」技術があった、ということ。
骨の針は鳥の骨でできていた
シベリアのデニソワ洞窟で見つかった約5万年前の針は、大きな鳥の骨から作られ、糸を通す穴まで開いていました※3。針があれば、毛皮を体の形に合わせて縫い合わせられます。
日本の服の歴史は縄文時代から?縄文時代の服装は「編布」で編んでいた
日本の服の歴史で、縄文時代の服は現物がほとんど残っていません。 分かっているのは、遺跡から出た編物や土偶の姿から推定した姿です※6。宮城県の山王囲遺跡(縄文時代晩期)からは、より糸で作った編布(あんぎん)が見つかっています※7。縄文の人々は、植物の繊維を「織る」のではなく「編んで」布にしていました。
編布(あんぎん)とは
編布は、たて方向に並べた糸に、別の糸をからめながら編んでいく布です。機(はた)を使わず、手と簡単な道具で作れます。
材料は、麻やからむし(イラクサの仲間)などの植物の繊維です。素材が植物なので、湿った土の中など条件のよい場所でないと残りません。
縄文時代に縄はあったのか
あります。縄文時代という名前そのものが、土器の表面に付けられた縄の模様(縄目)から来ています。
稲わらの縄は、稲作が入った弥生時代以降の話です。それより前の縄文の縄は、植物の繊維や木の皮から作られていたと考えられています。
毛皮も着ていたのか
縄文時代の服は、植物の繊維と動物の皮を加工したものと推定されています※6。ただ、毛皮の服の現物はほとんど残っておらず、「着ていたと考えられる」という言い方になります。
縄文時代と弥生時代の服装の違いは?「編む」から「織る」へ

縄文時代と弥生時代の服装のいちばんの違いは、布の作り方です。 縄文時代は植物の繊維を手で「編んだ」布(編布)、弥生時代は機(はた)で「織った」布が中心になりました。弥生時代の愛知県の朝日遺跡からは、糸をよる紡錘車(ぼうすいしゃ)などの道具がまとまって出ています※9。布の作り方が変わり、着る物の形も変わっていきました。
縄文と弥生の服装の違いを表にすると
| 縄文時代 | 弥生時代 | |
|---|---|---|
| 布の作り方 | 手で編む(編布) | 機で織る |
| 主な材料 | 麻・からむしなどの植物の繊維、動物の皮 | 麻などに加え、絹も |
| 道具 | 手と簡単な道具 | 紡錘車・機織りの道具※9 |
| 服の形 | 現物がほぼ無く、土偶などから推定※6 | 布の中央に穴をあけて頭を通す服の記録※10 |
| 縄 | 植物の繊維や木の皮 | 稲わらの縄も作られるように |
「織る」とはどういうことか
機で織るときは、まずたて糸をぴんと張ります。たて糸を1本おきに持ち上げてすき間を作り、そこへよこ糸を通す。持ち上げる糸を入れ替えて、またよこ糸を通す。これを繰り返すと布になります。
編む布に比べて、目のそろった布を速く、長く作れるのが強みです。布を織る技術は、縄文時代の終わりごろに大陸から入り、弥生時代に広まったとされています。
弥生時代の服「貫頭衣」とは
3世紀ごろの日本の様子を書いた中国の歴史書『魏志倭人伝』には、布の中央に穴をあけ、そこへ頭を通して着る服が出てきます※10。のちに「貫頭衣(かんとうい)」と呼ばれるようになった服で、ほとんど裁ったり縫ったりしない、簡単な形です。
ただし、「貫頭衣」は近代になってからの呼び名で、当時そう呼ばれていたわけではないと説明されています※10。
機の「ハタ」と秦氏の話は、1行だけ
古代の渡来系の氏族、秦氏(はたうじ)は、養蚕と機織りの技術を伝えたとされています※11。「秦」を「はた」と読む理由には、機(はた)から来たという説を含めていくつかの説があります。この話は、別の記事でゆっくり書く予定です。
衣服の歴史に地域差はある?寒い地域と暖かい地域、麻・綿・絹の違い
衣服の歴史には、はっきりした地域差があります。 寒い地域では、骨の針で毛皮を体に合わせて縫う服が発達しました※3。いっぽうで繊維の種類は地域ごとに違い、西アジアやヨーロッパの亜麻、南アジアや南米の綿、中国の絹、日本の縄文の麻と、それぞれの土地にある植物や虫から糸を作ってきました。
寒さが「縫う服」を生んだ
針と皮なめしの道具がそろうのは、寒い時代のユーラシア大陸です※2※3。体を包むだけの服から、体の形に合わせて縫った服へ。寒い地域ほど、この変化が早く進んだと考えられています。
逆に暖かい地域では、長いあいだ服をほとんど着ない暮らしが続いたところもあります。
「麻」は1つの植物ではない
意外と知られていないのが、「麻」という言葉の広さです。
麻は、茎や葉から長い繊維がとれる植物をまとめて呼ぶ言葉で、大麻・亜麻(リネン)・苧麻(ラミー)・ジュートなどは、植物としては別の仲間です。
今の衣料品の品質表示で「麻」と書けるのは、亜麻と苧麻の2つだけと決められています※12。お店で「麻100%」と書いてある服は、ほぼ亜麻か苧麻ということです。
繊維ごとの「糸のでき方」
| 繊維 | どこで始まったか | 糸にする作業 |
|---|---|---|
| 麻(亜麻・大麻など) | 西アジア・ヨーロッパ・日本ほか | 茎の皮をはぎ、細く裂いてつなぐ(績む・うむ) |
| 綿 | 南アジア・南米 | 綿の実の毛をよる(紡ぐ) |
| 絹 | 中国 | 蚕の繭から糸を引き出す(繰る) |
同じ「糸を作る」でも、麻は「績む」、綿は「紡ぐ」、絹は「繰る」と、日本語では動詞まで分けて呼んできました。
「葉っぱと毛皮の原始人」の服装はどこまで本当?
「葉っぱを蔓で括る」「毛皮でマンモスを追う」という原始人の姿は、半分は本当で、半分は想像です。 毛皮は、骨の針や皮なめしの道具が見つかっているので、寒い地域で着ていたと考えられます※2※3。いっぽう葉っぱの服は、植物が残りにくいこともあり、ほとんど証拠がありません。
私の場合、原始人の服のイメージがどこで付いたかを考えると、思い当たるのはこれでした。
日本むかしばなしみたいな子供の頃に見たアニメ
子どものころに見た絵の印象は、大人になっても残ります。調べてみると、実際の昔の人は、葉っぱよりも先に紐を作り、針で毛皮を縫い、繊維を編んで布にしていました。絵で見た姿よりも、ずっと手の込んだ暮らしです。
服そのものが残らない以上、古い時代の話は推定の積み重ねです。だからこそ、昔の人と服の話には、いろいろな説や言い伝えが生まれてきました。
原始人の服装をめぐる思い込みや、氷の中から見つかった5,000年前の人の服の話は、都市伝説のブログで別に書く予定です。
日本の服の歴史と絹|実家に蚕室があった話
日本の服の歴史で、絹は長いあいだ大切な産物でした。 昭和の初めには多くの農家が蚕を飼っていましたが、1929年に始まった世界恐慌で、アメリカへの生糸の輸出が激減し、繭の値段が暴落しました※13。私の実家にも、かつて蚕を育てる部屋がありました。調べた歴史と、家で聞いた話がつながった節です。
実家に蚕室があった
私の実家は、屋根より高い赤松がある古い家です。今回の調べものをきっかけに、家のことを思い出しました。
昔、蚕を飼っていたそうです。蚕室がありました。1929年の世界恐慌でと石油製品でダメになってしまったと聞きました。
蚕室(さんしつ)は、蚕を育てるための部屋です。
家で聞いた話と、資料が合っていた
福井県文書館の資料には、1929年10月のニューヨークの株の暴落から始まった世界恐慌が翌年に日本へ広がり、アメリカへの生糸の輸出が激減して繭の値段が暴落した、と書かれています※13。
家で聞いた「世界恐慌でダメになった」という話と、時期も中身も合っていました。その後、石油から作る合成繊維が広まり、生糸の出番はさらに減っていきます。
服の歴史を世界の年表で調べていったら、最後は自分の家の話につながりました。
まとめ:服の歴史を日本と世界の年表で見て分かったこと


服の歴史を年表で見ると、人類は少なくとも約8万3千年前には服を着ていて、服より先に紐と針を手にしていました。 日本では、縄文時代に植物の繊維を「編む」布、弥生時代に機で「織る」布が広まりました。服の現物が残るのは約5,000年前からで、それより前はシラミの遺伝子や骨の道具が、年代を教えてくれています。
最後に、この記事で分かったことを並べます。
- 人類が服を着始めたのは、少なくとも約8万3千年前、早ければ約17万年前(シラミの遺伝子から)
- 服より先に紐があった。 ネアンデルタール人も、約4万年以上前に3本よりの紐を作っていた
- 骨の針は約5万年前。 針があって、毛皮を体に合わせて縫えるようになった
- 織って縫った服の現物は、エジプトの約5,000年前の麻のドレスが、見つかっている中で最古
- 縄文時代は「編む」編布、弥生時代は機で「織る」布。 ここが縄文と弥生の服装の違い
- 「麻」は植物の総称。 今の服の表示で「麻」と書けるのは亜麻と苧麻だけ
- 絹は日本の農家を支えたが、1929年の世界恐慌で繭の値段が暴落した。 私の実家の蚕室も、その時代の話だった
火や文字と同じくらい、糸の発明は人の暮らしを変えてきました。今日着ている服のタグを見たら、少しだけ、この長い年表を思い出してみてください。
出典
- ※1 Origin of Clothing Lice Indicates Early Clothing Use by Anatomically Modern Humans in Africa(Toups ほか, Molecular Biology and Evolution, 2011)
- ※2 Study suggests earliest use of bone tools to produce clothing in Morocco 120,000 years ago(アリゾナ州立大学, 2021)
- ※3 Denisova Cave Yields a 50,000-Year-Old Needle(Archaeology Magazine, 2016)
- ※4 Direct evidence of Neanderthal fibre technology and its cognitive and behavioral implications(Hardy ほか, Scientific Reports, 2020)
- ※5 These Vintage Threads Are 30,000 Years Old(NPR, 2009)
- ※6 石狩ファイル No.0013-01(石狩市)
- ※7 国指定史跡 山王囲遺跡(宮城県)
- ※8 Tarkhan dress(Wikipedia 英語版。オックスフォード大学の放射性炭素年代測定を引く)
- ※9 愛知県朝日遺跡出土品(文化庁 文化遺産オンライン)
- ※10 貫頭衣(コトバンク:山川 日本史小辞典・百科事典マイペディアほか)
- ※11 秦氏(コトバンク:旺文社日本史事典・ブリタニカ国際大百科事典ほか)
- ※12 繊維製品品質表示規程(消費者庁)
- ※13 二度の世界大戦と日本 世界恐慌と日本の中国侵略(福井県文書館)
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