ミシャグジ様。長野県の諏訪で、ずっと昔から拝まれてきた神様の名前です。
私がこの名前を知ったのは、色んなYouTubeでした。諏訪大社にも、神長官守矢史料館にも、御柱祭にも、まだ行ったことはありません。
それでも気になることが多すぎます。縄文から続く神なのか。御頭祭で鹿の頭を並べるのはなぜか。守矢家とは何者か。そして私がいちばん知りたいのは、ユダヤ・ヘブライとの関係です。諏訪には「モリヤ山(守屋山)」があり、旧約聖書にも「モリヤの山」が出てきます。
ここでは、通説は短くすませ、説を1つずつ取り上げて「①何と言っているか ②その根拠 ③確かめた結果」の順に書きます。多い・少ないで正しさは決めません。根拠がどこまで強いかだけを見ます。詳しく知りたい、考察したい。その材料を並べるつもりで調べました。
ミシャグジ様とは何の神?諏訪で石や木、人に降りてくる神
ミシャグジ様は、諏訪を中心に拝まれてきた神霊で、石や木、人に「降りてきて宿る」神とされます。 書き方は御左口神・御社宮司など200以上あり、正体は今も決まっていません。諏訪大社上社では、神長官を務めた守矢家がこの神を呼び、人や物に宿らせて祭りを行ってきました※1。
まず、通説だけ短くまとめます。
- 書き方が200以上ある。 御左口神(みしゃぐじ)、御社宮司(みしゃぐじ)、石神(しゃくじ)など、地域ごとにばらばらです※1
- 祀る社がとても多い。 民俗学者の今井野菊の調べでは、長野県内だけで約750社。諏訪109、上伊那105、小県104と、諏訪の近くに集まっています。県外にも静岡233、愛知229と広がります※1
- 何の神かは説が割れている。 柳田國男は1910年の『石神問答』でこの神を取り上げ、のちに「木の神」と考えました。ほかに石の神、蛇の神、作物の神とする説があります※1
名前の意味にも、「作神(さくがみ)」「御作霊(みさくち)」「御赤蛇(みしゃくち)」など、いくつもの説があります※1。どれか1つに決まってはいません。
ミシャグジは縄文から続く神?石棒が御神体の社を確かめる
ミシャグジは縄文時代から続く信仰だ、という説には、縄文の石棒や石皿を御神体にした社がある、という根拠があります。 一方で、それだけでは縄文から今まで途切れずに続いた証拠にはならない、という指摘も近年出ています。結論は「根拠はあるが、まだ決まらない」です※1※6。
①何と言っているかミシャグジは、日本に稲作が広まる前、縄文の人々が拝んでいた自然の神がそのまま残ったものだ、という説です。
②その根拠ミシャグジを祀る社の中には、縄文時代中期の石棒(せきぼう)や石皿を御神体にしているところがあります※6。石棒は縄文の人々が祭りに使ったと考えられている石の道具です。八ヶ岳のふもとの諏訪は、縄文の遺跡がとても多い土地でもあります。
③確かめた結果:まだ決まらない石棒が「後の時代の人に拾われて、御神体にされた」可能性もあります。縄文の道具が社にあることと、縄文の信仰が途切れずに続いたことは、別の話です。Wikipedia 日本語版の「ミシャグジ」でも、縄文から続くという見方には近年疑問が出されている、と書かれています※1。
それでも、縄文の土地の真ん中で、縄文の石を御神体にする神がいる。この重なりは、偶然と片付けるには大きいと私は思います。より深く読みたい人には、古部族研究会がまとめた古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究 : 日本原初考があります。
縄文の人の暮らしそのものは、服の歴史を日本と世界の年表で調べた記事でも、縄文の「編む」服として取り上げました。
諏訪大社上社の「2層」とは?守矢家と建御名方・洩矢神の説
諏訪大社上社には、後から来た神・建御名方(タケミナカタ)と、もとからいた洩矢神(もりやしん)の「2層」がある、という説があります。 根拠は、両者が争った言い伝えと、負けた側の子孫とされる守矢家が、中世から江戸時代まで実際の祭りを動かしてきた記録です※2※3。
①何と言っているか諏訪には、もとから土地の神と、その神を祀る一族がいた。そこへ外から建御名方の勢力が入ってきて上に立ったが、祭りの中身は土地の一族が握り続けた、という説です。
②その根拠– 争いの言い伝え。 1356年の『諏方大明神画詞(すわだいみょうじんえことば)』では、洩矢神が「鉄輪」、明神(建御名方)が「藤の枝」を持って争い、明神が勝ったと書かれています※3- 負けた側が祭りを握った。 洩矢神の子孫とされる守矢家は、上社の神長官(じんちょうかん)という筆頭の神職を代々務め、祭りの秘法は一子相伝で口移しに伝えました※2- 今も続く家。 守矢家は今の当主が第78代です。茅野市の屋敷の一部は、1991年に建築家の藤森照信さんの設計で、神長官守矢史料館になりました※2
③確かめた結果:言い伝えと職の記録は裏付けあり。「実際の征服があった」はまだ決まらない守矢家が神長官を務めた記録は、たくさんの古文書として残っています※2。一方、神話を「実際にあった争い」と読む見方について、Wikipedia 日本語版の「守矢氏」は、中世に広まった聖徳太子と物部守屋の争いの話に影響された可能性も紹介しています※2。
ここで、ユダヤの話につながる名前が出てきます。「モリヤ」です。守矢家の家伝では、物部守屋の次男・武麿が守屋山に逃れ、守矢家に養子に入ったとも伝わります※2。
御頭祭の鹿の頭75頭は本当?生贄の噂を記録で確かめる
御頭祭(おんとうさい)で鹿の頭75頭を供えたことは、江戸時代の記録とスケッチで裏付けられています。 ただし「御頭」は鹿の頭のことではなく、祭りの費用を出す当番の役(頭役)の意味です。子どもを生贄にしたという噂もありましたが、上社は1778年に、はっきり否定する回答を出しています※1。
①何と言っているか諏訪大社上社の御頭祭では、昔は鹿の頭をずらりと並べて神に供え、子どもを生贄にしていたのではないか、という話です。
②その根拠– 鹿の頭75頭。 上社前宮の十間廊(じっけんろう)で、鹿の頭75頭のほか、猪やウサギなども供えたとされます。神と人が同じものを食べる「神人共食」の祭りでした※1- スケッチが残っている。 江戸時代の旅行家・菅江真澄が1784年に記録した『すわの海』が、史料館の再現展示のもとになっています※1- 生贄の噂。 1724年の『信府統記』には、10歳に満たない子どもを藤蔓で縛り、馬に乗せる様子が書かれています。藤蔓の跡が消えず、3年のうちに死ぬ、という言い伝えも残りました※1
③確かめた結果:鹿の頭は裏付けあり。子どもの生贄は反証あり1778年、上社が外からの問い合わせに答えた『諏訪上宮神事次第大概』には、「生贄ニテハ無之(生贄ではない)、十五歳未満之小童ヲ一人」と書かれています※1。子どもが神の使い(おこう)として祭りに出たことは事実で、それが生贄の噂を生んだ、と読めます。
また「御頭祭」の「御頭」を「鹿の頭を供えるから」と説明するのは、後から付いた語源の説明(民間語源)とされます※1。本来は、祭りの費用を受け持つ「頭役(とうやく)」や「御頭郷」のことです。
御頭祭とモリヤ山のイサクの話はつながる?日ユ同祖論の諏訪の説

御頭祭は、旧約聖書でアブラハムが息子イサクを「モリヤの山」でささげようとした話に似ている、という説があります。 「縛られる子ども」「動物の供え物」「モリヤという名前」の3点は、どれも記録で確かめられます。ただ、つながりを示す直接の証拠は見つかっておらず、結論は「まだ決まらない」です※5※7。
ここが、私がいちばん知りたかったところです。
①何と言っているか旧約聖書の創世記22章では、神がアブラハムに「モリヤの地」の山で、息子イサクをささげよと命じます。アブラハムはイサクを縛って祭壇にのせますが、刃を下ろす直前に止められ、代わりに角を木に引っかけた雄羊がささげられます※7。モリヤの山は、のちにエルサレムの神殿が建った場所とされます※7。
日ユ同祖論(日本人とユダヤ人は祖先が同じだという説)の中では、御頭祭がこの話に似ていると言われてきました※5。
②その根拠主張は3つに分けられます。1. 名前。 諏訪の「守屋山(もりやさん)」「守矢家(もりやけ)」「洩矢神(もりやしん)」と、聖書の「モリヤ」2. 縛られる子ども。 御頭祭で、子どもが縛られる場面があったという記録(前の節の『信府統記』)3. 動物の供え物。 イサクの代わりの雄羊と、御頭祭の鹿や獣の供え物
③確かめた結果:3点とも事実はある。つながりは、まだ決まらない
1つずつ見ます。
- 名前:似ているのは事実。ただし日本語の中にも由来の説がある。 守屋山は、旧名を「森山(もりやま)」といい、古文書には「守屋ヶ嶽」「守矢が岳」の名もあります※4。守矢家には物部守屋の家伝もあります※2。日本語だけで説明できる道もある、ということです。ただ、日本語で説明できることは、聖書との関係が無いことの証明にはなりません
- 「モリヤ山が御神体」という前提には、反証あり。 日ユ同祖論では「モリヤ山が諏訪大社の御神体」と語られることがあります※5。しかし、Wikipedia 日本語版の「守屋山」によれば、守屋山を神体とした記録は歴史的に無く、もともとの諏訪明神の神体は大祝(おおほうり)という生きた人でした。山頂の石祠には御柱がなく、諏訪に背を向けています※4。標高約1,650mのこの山は、雨乞いの山として拝まれてきました※4
- 縛られる子どもと動物:似た場面はある。筋書きは違う。 イサクの話は「1人の子をささげようとして止められ、1頭の羊に替わる」話です。御頭祭は「鹿75頭などを並べ、神と人が共に食べる」祭りで、子どもは神の使いの役でした※1。Wikipedia 日本語版の「日ユ同祖論」も、御頭祭の起源ははっきりせず、関連する神話も無いと書いています※5
似ている点は本当にあります。けれど、「伝わった」ことを示す道筋(いつ・誰が・どこを通って)は、私が調べた範囲では見つかりませんでした。ここは、読む人それぞれが考察できるところだと思います。
日ユ同祖論の遺伝子の根拠は本当?Y染色体を確かめる

日ユ同祖論では、日本人の男性に多いY染色体の型「D」と、ユダヤ人に見られる型「E」が近い仲間だ、という根拠がよく出されます。 2つが同じ祖先から分かれたのは事実です。ただ分かれたのは約6万年前とされ、古代イスラエルよりはるかに前です。数千年前の渡来の証拠にはならない、が確かめた結果です※5※8。
①何と言っているか日本人とユダヤ人には、遺伝子でもつながりがある、という説です。日ユ同祖論は明治時代、スコットランド出身のノーマン・マクレオドに始まり、その後も多くの人が説を足してきました※5。
②その根拠– 男性だけが受け継ぐY染色体には、型(ハプログループ)があります。日本人の男性では「D」が30〜40%を占め、周りの国にはほとんど見られません※5- 「D」と、ユダヤ人に約20%見られる「E」だけが、「YAP」という同じ目印を持っています※5- ユダヤ人の男性に多いのは「J」と「E」です※5
③確かめた結果:DとEが親せきなのは裏付けあり。ユダヤ人との直接のつながりには反証あり「D」と「E」は、約6万年前に共通の祖先「DE」から分かれた、とされています※5。アブラハムやモーセの時代は、それよりずっと新しい時代です。6万年前に分かれた親せき同士であることは、数千年前に人が渡ってきた証拠にはなりません。
日本の男性2,390人を調べた研究でも、Dは縄文の人々の系統と考えられています※8。つまり、日本のDは稲作より前から日本列島にいた人々の系統、という見方です。
ただし、これで決まるのは「Y染色体の型で、日本人とユダヤ人の祖先が同じだとは言えない」ところまでです。少人数の人が来た、文化だけが伝わった、という話は、Y染色体の割合では確かめられません。ここは「まだ決まらない」が正直な答えです。
日ユ同祖論はどこから来た?ヘブライ語の説と、説が広まった事情
日ユ同祖論は明治時代に外国人が唱え、日本でも学者や牧師が説を足してきました。 ヘブライ語と日本語が似ているという説もその1つです。どの説も、言葉や祭りが「似ている」点は具体的に示しています。ただ、伝わった道筋を示す証拠は、私が調べた範囲では見つかりませんでした※5。
①何と言っているか– 秦氏の説。 言語学者の佐伯好郎は1908年、古代の渡来人・秦氏はユダヤ系のキリスト教徒だった、と唱えました※5- ヘブライ語の説。 牧師の川守田英二は、祭りのかけ声「ワッショイ」などをヘブライ語で読める、と唱えました※5
②その根拠どちらも、名前や言葉の音、祭りの形が「似ている」ことです。
③確かめた結果:似ている点の指摘は事実。伝わった証拠は見つからない– 秦氏の説には、年代の疑問がある。 Wikipedia 日本語版では、秦氏が渡来した時代と、その宗派が中国に伝わった時代が合わないという批判と、「先に一部が来ていた可能性を無視している」という反論の両方が紹介されています※5- 言い出した人自身の事情。 佐伯好郎は1953年、説を唱えた動機の1つに、ユダヤの資本を日本に呼び込みたい思いがあった、と語ったとされます※5。動機があったことは、説が間違っている証拠にはなりません。ただ、根拠を見るときには知っておきたい事情です- ヘブライ語の説。 音が似た言葉の例は、どの2つの言語の間でも見つかりやすいものです。言葉が伝わったと言うには、たくさんの基本の言葉や文の作りがそろって似ていることを示す必要がありますが、そこまで示した研究は、私が調べた範囲では見つかりませんでした
誤解のないように書いておくと、どの説も、ユダヤの人々や神道を下に見るものではありません。似ているものが多い2つの文化を、どう説明するか、という問いです。
まとめ:ミシャグジ様と日ユ同祖論、確かめて残った謎は?


ミシャグジ様は、石や木、人に宿る諏訪の神で、縄文から続く説、守矢家の「2層」の説、モリヤ山とイサクの話を結ぶ説など、たくさんの説があります。 確かめると、記録で裏付けられる点、はっきり反証のある点、まだ決まらない点の3つに分かれました。モリヤ山の説は、名前と供え物の似た点まではたしかです。
最後に、説ごとの結果を並べます。
- ミシャグジ様の正体(石・木・蛇・作物) :まだ決まらない。書き方は200以上、祀る社は長野県内で約750
- 縄文から続く神 :まだ決まらない。縄文の石棒を御神体にする社はあるが、途切れずに続いた証拠は無い
- 建御名方と洩矢神の「2層」 :言い伝えと守矢家の職は裏付けあり。実際の征服は、まだ決まらない
- 御頭祭の鹿の頭75頭 :裏付けあり。「御頭」は鹿の頭ではなく当番の役のこと
- 子どもの生贄 :反証あり。上社が1778年に否定している
- モリヤ山とイサクの話 :似ている点は事実。守屋山を御神体とする記録は無い。つながりは、まだ決まらない
- Y染色体のDとE :親せきなのは事実。ただ分かれたのは約6万年前で、ユダヤ人との直接のつながりの証拠にはならない
調べるほど、「似ている」と「伝わった」のあいだにある溝が、はっきり見えてきました。その溝を埋める証拠が、これから見つかるのか。考古学や遺伝子の研究が進めば、答えが変わるかもしれません。
同じ八ヶ岳のふもとの縄文の村と栗の話は尖石遺跡と中ッ原遺跡の記事で、長野の上田に並ぶ寺社と龍脈の話は生島足島神社と上田のレイラインの記事で、説ごとに確かめています。
出典
- ※1 ミシャグジ(Wikipedia 日本語版。今井野菊・柳田國男・『信府統記』・『諏訪上宮神事次第大概』ほかを引く)
- ※2 守矢氏(Wikipedia 日本語版)
- ※3 洩矢神(Wikipedia 日本語版。『諏方大明神画詞』を引く)
- ※4 守屋山(Wikipedia 日本語版。原正直「守屋山の習俗と伝承」『諏訪学』ほかを引く)
- ※5 日ユ同祖論(Wikipedia 日本語版)
- ※6 諏訪の記事(和楽web)
- ※7 Binding of Isaac(Wikipedia 英語版。創世記22章を引く)
- ※8 Overview of genetic variation in the Y chromosome of modern Japanese males(Anthropological Science 122(3), J-STAGE)
Amazonのアソシエイトとして、カラフルな世界は適格販売により収入を得ています。

